常倫寺 お寺の歴史

室町時代の末、天文11年(1542年)3月、北条氏家臣涼月安清が現在の山門下辺りに草庵を結び、瑞雲山吉祥院とした。

 

開山 涼月安清 開基 久志本左京亮常勝。

 

小机の雲松院6世明岩宝殊(寛永8年<1631>1月5日寂)を開山と仰ぎ、一院となした。

 

天和3年(1683)3月、火災にあい堂宇焼失後現在地に移転、本堂創建。その後、地頭小田切氏の庇護を受けた。

 

元禄6年(1693)2月、小田切土佐守直利が父美作守須猶の追善供養のために梵鐘と鐘楼を寄進。その後、堂宇再建。

 

宝永3年(1706)12月、当村が久志木左京亮常勝の知行所となり、久志本家の菩提寺となる。

 

宝永4年(1707)6月、父母の法名をとって、照光山吉祥院常倫寺と改め、堂宇を再建。

本堂

當山縁起
當山縁起

駒岡不動尊

常倫寺草創の小田原北条氏家臣涼月安清の守本尊で、行基作と伝える不動明王像を安置。

 

天和3年(1683)の火災にも難をまぬがれ、帰依信仰する者が多くあった。

 

明治3年3月28日御堂再建、大山・成田山両不動明王を勧進。

 

現在講員80余名を数える。


駒岡不動尊 新規講員募集

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旗本久志本家歴代の墓所(横浜市登録文化財)

久志本(くしもと)家は、将軍直属の武士の中でも、格式の高い旗本の身分にあった。江戸中期、その久志本家の当主・常勝は、良知の駒岡にあった吉祥院を、父・常倫(じょうりん)の名前をとって常倫寺に改めた。父の供養をするとともに、同寺を久志本家歴代の墓所とした。

 

墓所には、高さ約170センチの父の墓と、それより一段低い約140センチの常勝の墓がある。この親に対する敬慕の情と、親子の強い絆が伝わってくるようだ。

旗本久志本家歴代の墓所(横浜市登録文化財)

横浜市鶴見区の歴史でも紹介されています